平成15年5月から番目のお客様です
 
3大図書館(名簿・FAX・家系図)を         
            中心とした新世紀の情報センターです


    
 

   名 簿 と ア イ デ ア
  
 情報化時代を生きる知恵

= 連載 1 

                           会長 田村武男

は じ め に 

 
 
 名簿といえば、現在でこそ個人情報とか顧客データなどに一部の人は目の色を変えますが、これはごく最近のことです。十数年前までは、道端に捨ててあっても、誰一人として拾う者はなく、もちろん古本屋に持っていっても相手にもされませんでした。

 その頃、名簿といえば同窓会名簿とか紳士録ていどのもので、新しいものがでると、古いものはポイと捨てられたものです。
 ところが、今や名簿といえば、引っ張り凧です。だからこそ、名簿図書館の存在があるのですが、なぜ名簿のニーズがこのように高まってきたのか、皆さん、一度でもお考えになったことがありますか?
 私は名簿こそ、変わらざる情報の核であり、時代の鏡であると信じています。
 考えてもごらんなさい。赤穂浪士の、あの血判状は名簿以外のなにものでもありませんが、これこそ、まさに情報の核であり、現代から見ると、その時代の鏡そのものです。
 幸いにして私は若き日に、この名簿と巡り合い、その後、ますます、この思いを深くするばかりです。私が今日あるのは、名簿のお陰で、何度、こ名簿に助けられたことでしょう。名簿とアイデアさえあれば、現代の情報化時代に恐いものはありません。
 名簿には、なんといっても具体性があります。また名簿というものは、ひとりでなく、複数のため、それだけに社会性があります。
 従って、名簿の周辺には、さまざまな人生ドラマがあります。まだ人の知らない金儲けのヒントもゴロゴロしています。
 現代的な出版の歴史はまだ新しく、せいぜい昭和5、6年からですが、昨今の情報化旋風に煽られて、名簿の価値は急上昇しました。
 
 ぜひ、素人の方にも、この機会を逃さないで、名簿の上手な利用方法をを学び、情報化時代を楽しく、痛快に過ごしてください。

 名簿こそ、アイデアを活かす最高の媒体であり、ちょっとコツをのみ込めば、学生でも、一般のOLでも、家庭の主婦の方でも、それぞれの立場立場で、ちょっとした金儲けをすることができます。
 殊に中高年者が、その要領を知れば、社会経験が豊富なだけに、活用の場は限りなく広がっていきます。社内の希望退職に率先して応じ、退職金の一部を資本にして、趣味と実益を兼ねた商売でも始めてみたらいかがです。
 人生、夢を失ったらおしまいです。実はそうなってもらわないために、私の拙い体験談をあえて発表する次第です。
 ”名簿とアイデア”の話が多少でも、あなたに勇気と知恵を与えるきっかけともなれば、いや、必ずそうあることを信じ、実行する人が輩出し、成功者が続出することを祈念しています。

                 
  



私と名簿との初めての出会い ■



 
 考えてみれば、私と名簿との付き合いは随分古いことになります。今からもう40年近いむかしのことになりますが、鉄鋼関係の業界紙を発行したことがあるのです。

 人生というのは不思議なもので、いつ、どこから、きっかけが舞い込んでくるか分かりません。実は学校を出てから鉄鋼関係の会社に勤めていましたが、どうしても年来の希望である出版関係の仕事がしたくて、その会社を辞めてしまったのです。しかし、その頃はものすごい就職難で、どの出版社も相手にしてくれません。
 出版社どころか、固定給さえくれれば、どこでもいいとまで思いつめるほどの、いわばどん底寸前のとき、以前、勤めていた鉄鋼会社の元の上司から,思いがけない話が飛び込んできました。

 「田村は出版、出版と言っていたが、どこか勤めているのか」と部下に尋ねたらしく、私がまだブラブラしていると知って、電話をかけてきたのです。
 「どうだ,鉄鋼関係の新聞をやってみる気はないか」
 そのときの私にとっては夢のような話です。もちろん,願ったり、叶ったり。大喜びでこの話に飛びつきました。
 今だから話せますが、この上司という人が、なかなかのアイデアマンで、このときも、ライバル企業の商品と自社商品との価格差を少しでも縮めようとし、そのために業界新聞を創刊することを思いついたのです。
 そこで私に白羽の矢が立ったというのが、どうも実情のようですが、そのライバル企業が現在の新日本製鉄グループとなれば、まだ20代だった私とすれば、いやでも張り切らざるを得ません。
 このとき、呼び集められたのが、上司の会社に出入りしていたブローカー風の2人でした。そのうちの一人は私より10歳ばかり年上で、もう一人の方は、さらに10歳年上。つまり40歳と50歳と、まだ30歳少し前だった私の3人でスタートしました。
 昭和も20年代の、まだ戦後の混乱が色濃く残っていた頃で,鉄鋼業界には、いろんなタイプのブローカーがウヨウヨとしていました。
 ウダツのあがる奴、あがらない奴とさまざまでしたが,もちろんここに集まって来た40歳のS氏と、50歳のK氏は、ともに後者の方で、まあ、人のいい部類でした。しかし,今にして思うと、頭は良かった方で,この上司のY氏の人選は見事だったというほかはありません。
 タブロイド版の週刊紙でスタートすることにしたのですが、みんな素人ばかりで、今から考えると,随分乱暴な話です。とにかく原稿だけ書いて、印刷屋に持ち込めば、なんとかなるだろう、といった調子で、まことに呑気ななものでした。
 その中で多少マシなのが私で、一番若いということもあって、編集の全責任を負わされることになりました。しかも業界紙ですから、やはり広告も掲載しなければ格好がつきません。
 そのとき、オーナーでもあるY氏が、いつの間に用意していたのか、1冊のガリバン刷りの名簿を持ってきました。中を開けてみると、関東地区の金物屋と板金業者の住所と社名がずらりと並んでいます。全部で約2千軒ばかりです。
 まだ純情可憐だった私には、咄嗟に、その意味するところが、一体何だか分かりませんでした。すると、そのY氏が、おもむろに、いいました。
 「お前たちは、この名簿を持って、メーカーと問屋を回れ。今度、業界紙を創刊するんですが、その送り先のリストが、これです。つきましては、広告をお付き合いしていただでませんか。できれば月極めでお願いします・・・・・、と」
 「そうすれば、必ず広告は取れるから」と、ハッパをかけられたのです。
 まさに、私と名簿との運命的な、そして長い長いお付き合いの、これが始まりだったのです。

                                       2000/09/15
(つ づ く)